泣いたあとに、なぜか気分が軽くなっている。誰でも一度は経験があるだろう。この現象には理由があるのか。かつてそれを真剣に調べた研究者がいた。
涙を集めて成分を比べた研究者
アメリカのウィリアム・H・フレイ博士は、1985年に涙の研究で注目された。著書は『涙――人はなぜ泣くのか』(石井清子訳・日本教文社1990年刊)として邦訳もされている。
博士によれば、涙には三つの種類がある。目を潤すために常に出ている基礎分泌の涙、煙やタマネギなどの刺激で出る涙、そして感情によって流れる涙である。
博士はこの三つ目に注目した。タマネギを切ったときの涙と、映画に感動して流した涙を集めて成分を比較したのである。すると感情による涙のほうから、ACTH(副腎皮質刺激ホルモン)が検出された。ACTHはストレスに反応して分泌されるホルモンである。
ここから博士は、泣くことによってストレス物質が体外へ排出されているのではないか、という仮説を立てた。
ただし、この仮説はその後の研究で十分に裏づけられたとはいえない。広く紹介されてきた説ではあるが、医学的な結論が出ているわけではないことは、断っておく必要がある。
説明はつかないが、経験としては共有されている
それでも、この研究が長く語り継がれてきたのには理由がある。「泣いたらすっきりした」という実感を、多くの人が持っているからだ。説明はついていない。しかし経験としては共有されている。だからこそ、この仮説は魅力的に響く。
考えてみれば、仕事にも同じ種類のものがある。理屈では説明しきれないが、現場の人間ならみな知っていること。この工程を飛ばすと後で必ず手戻りが出る。この相手にはこの順番で話したほうが通りやすい。数字にも手順書にも残っていないが、確かに効いている判断である。
こうした経験知は、言葉にされないまま個人のなかに留まりやすい。説明できないから共有されず、共有されないから継承されない。人が辞めると、静かに失われていく。
説明がつかないことを、説明がつかないまま伝えることはできる。「理由は分からないが、こうするとうまくいく」。その一言でも、聞いた側には残る。
泣くとなぜすっきりするのか。答えはまだ出ていない。それでも人はそれを知っていて、語り継いできた。組織のなかの知恵も、本来そういうものなのだろう。
【参考】
ウィリアム・H・フレイ二世『涙――人はなぜ泣くのか』(石井清子訳・日本教文社、1990年)
朝礼スピーチ例文(そのまま読めます)
涙の話です。
アメリカのフレイ博士という人が、涙を分析した研究があります。タマネギを切ったときに出る涙と、映画に感動して出る涙。見た目は同じですが、成分を比べると違っていた。感動して流した涙のほうには、ストレスに反応して出るホルモンが含まれていたそうです。
そこから、泣くことでストレスが外に出ているのではないか、という仮説が生まれました。ただ、これはまだ証明されたわけではありません。そういう説がある、という話として聞いてください。
私が面白いと思ったのは、別のところです。
泣いたあとにすっきりする、という経験は、たぶんここにいる多くの人にあると思います。理由は分かっていない。それでも、経験としては共有されている。
仕事にも同じものがあります。理屈では説明できないけれど、なんとなくみんなが知っていること。この手順を飛ばすと後で面倒になる。この相手にはこの順番で話したほうがいい。
そういう経験知が、実はいちばん効いていたりします。
今日、自分が経験で知っていることを、一つ誰かに話してみてください。
