近世ヨーロッパにおいて圧倒的に強さを誇ったナポレオン。彼の軍の強さは、ナポレオン自らによる人心掌握術にあったといわれる。
最高勲章を自身の手で老兵の胸に
1814年、退位を目前にしたナポレオンが最後の閲兵(整列した兵士を激励すること)を行なったときのこととして、こんな逸話が伝えられている。多くの兵たちが整列するなかをナポレオンが進むと、ひとりの老兵に目を留めた。その顔に見覚えがあったからだ。
その老兵の階級は、伍長(最下級の下士官)。ナポレオンは、老兵をそばに招き、語りかけた。聞くと老兵はナポレオン軍のすべての戦いに参加し、そのたびに勲章の授与対象になっていた。しかし彼の直属の上司、将軍は彼を軽んじ、勲章の授与はおろか昇進の対象にすらしなかった。また老兵自身も決して自分の功を吹聴しなかった。ただナポレオンとともに勝利の歴史を綴っていければ、満足だったからだ。
ナポレオンの胸にこの「無冠の兵士」の心が、強く響いたにちがいない。ナポレオンに偉くしてもらい、よくしてもらいながら、ナポレオンが敗れて島流しになった途端、恩を仇で返し、裏切った高官たちも少なくなかった。それに比べて、この兵士は、何の見返りも求めず、必死に働いてくれた。
ナポレオンは、いったん、その老兵を隊列に戻すと、かたわらにいた側近の大佐に指示をした。そして再び、かの兵士を招き寄せた。そこでナポレオンは、自分がつけていたフランスの最高勲章であるレジオン・ドヌール勲章をはずし、自身の手で老兵士の胸につけてあげたのである。
「人は己を知る者のために死ねる」
つづいてそのとき太鼓が打たれた。全体が静まりかえると、大佐は大きな声で叫んだ。「皇帝の名において、ノエル伍長を連隊の少尉に任命する!」。つづいてナポレオンの合図とともに、再び太鼓が鳴り、大佐が叫んだ。「皇帝の名において、ノエル少尉を連隊の中尉に任命する!」。そして三たび、太鼓が響き、大佐は告げた。「皇帝の名においてノエル中尉を連隊の大尉として遇しなさい!」。瞬く間の昇進。感激のあまり老兵は倒れかけた。
ナポレオンは、この老兵にたんに恩恵を与えたのではなかった。正確に兵士の功績に報いたかったのだ。そしてそのナポレオンの心は誰もがわかった。いちばん働いた人が、いちばん偉いのだ。皇帝は全部、知っていてくれるぞ! と。逸話の細部がどこまで事実であるかはさておき、こうした人心掌握のあり方こそがナポレオン軍の強さの秘密だったといわれている。
次元は違うが、中国四大奇書の一冊といわれる「水滸伝」のなかにも同様のことが出てくる。梁山泊の108人もの豪傑を束ねた宋江は、しがない地方の小役人であった。その彼が何故多くの豪傑たちのリーダーとなれたのか。それは『史記』にいう「士は己を知る者のために死す」のとおりに、宋江が徹底して相手を知り、相手のために尽くしたからだ。ゆえに梁山泊の豪傑たちは、宋江のために喜んで命を差し出した。そこに団結が生まれ、勝利が生まれたのだ。
さまざまな組織論、リーダー論が世に問われているが、結局のところひとりの人間たるリーダーが、ひとりの人間である部下をどこまで真剣に思いやり、考えているのか。この一点に尽きている。究極は“人間”に集約されていくのである。
朝礼スピーチ例文(そのまま読めます)
ナポレオンの話です。
1814年、ナポレオンは最後の閲兵を行ないました。整列した兵士たちの前を歩いていたとき、一人の老兵に目を留めます。顔に見覚えがあったからです。
階級は伍長。いちばん下の下士官です。声をかけて聞いてみると、この老兵はナポレオン軍のすべての戦いに参加していました。そのたびに勲章の対象になっていた。ところが直属の上司がこの男を軽んじて、勲章も昇進も上げていなかった。
そして本人も、自分の手柄を一度も言わなかったそうです。ナポレオンと一緒に戦えれば、それで満足だったから。
ナポレオンは彼をいったん列に戻し、側近に指示を出してから、もう一度呼び寄せました。そして自分の胸につけていた最高勲章を外して、老兵の胸につけたのです。
それから太鼓が鳴り、側近が叫びました。この者を少尉に任命する。もう一度太鼓が鳴り、中尉に任命する。三度目の太鼓で、大尉として遇せよ、と。
この場面を見ていた兵士たちは、こう思ったといいます。いちばん働いた人が、いちばん報われる。皇帝は全部知っていてくれる、と。
見ていないようで、見ている。それが伝わっているかどうかで、組織の力は変わります。
今日、誰かの働きに気づいたら、その場で一言伝えてみてください。
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