経営が破綻したJALを再建した稲盛和夫は、どのような改革を行ったのか。
まず幹部の考え方を変えることから始めた
稲盛和夫がJALで最初に取り組んだのは、数字の立て直しではありませんでした。幹部の考え方を変えることでした。
当時のJALは、一握りの幹部が指示を出し、それを従業員が実行するという形で動いていました。稲盛の目に映ったのは、官僚的で硬直した組織です。再度の経営破綻を防ぐには、少数の幹部だけに頼る経営を改める必要がある。そう考えた稲盛は、まず経営層の意識を動かすことから着手します。
幹部を集めた勉強会が繰り返し開かれました。そこで説かれたのは、稲盛が自らの経営の軸としてきた考え方です。判断に迷ったときは、何が人として正しいかを基準にする。
当初、幹部たちの反応は冷ややかでした。これまでJALを動かしてきたのは自分たちだという自負があり、外から来た経営者に一から説かれることへの抵抗もあったのでしょう。それでも稲盛は繰り返し語り、ときに厳しく指摘しました。
やがて、心を動かされる人が現れはじめます。その数はしだいに増え、改革の波は経営層だけでなくJAL全社へと広がっていきました。
フィロソフィをJALに作らせる
稲盛がもう一つ力を注いだのが、JAL独自のフィロソフィをつくることでした。ただし、自分で書いて渡すのではなく、JALの社員自身に作らせたのです。
フィロソフィとは、稲盛が京セラを創業する際にまとめた、判断基準や考え方の集まりです。
稲盛は、経営者は孤独なものだと考えていました。確信が持てない場面でも、自分で考え、自分で決めなければならない。その孤独に耐えるのが経営者だと。
そのとき、自分の分身がいて、経営を自分と同じように心配してくれたらどれほど心強いか。そう思ったことが、フィロソフィをまとめるきっかけになったといいます。
JALの再建にも、これが必要だと稲盛は考えました。そこで当時の社長であった大西賢に京セラのフィロソフィを渡します。それを参考にしながら、約2か月間、数十人の手によって、JAL独自のフィロソフィが作られました。
ただし、社内に公開するだけでは浸透しません。そこでJALが取ったのが、上司から部下へ直接手渡すという方法でした。メールや書類で一斉配布するより、身近な上司から手渡されたほうが大切なものになると考えたからです。
さらに、朝礼や終礼の時間に、みんなで読む機会を設けました。
こうした地道な活動を続けることで、JALは再建の柱となるフィロソフィを定着させたのです。
朝礼スピーチ例文(そのまま読めます)
経営破綻したJALを再建した、稲盛和夫さんの話です。
稲盛さんがJALで最初にやったのは、数字を立て直すことではありませんでした。幹部を集めて、考え方を説くことでした。
判断に迷ったときは、何が人として正しいかを基準にする。これを繰り返し語ったそうです。
最初、幹部たちの反応は冷ややかでした。これまでJALを動かしてきたのは自分たちだという自負がある。外から来た人に一から説かれることに、抵抗もあったのでしょう。
それでも続けるうちに、ひとり、またひとりと変わりはじめ、やがて全社に広がっていきました。
もう一つ、JALでは独自の行動指針を作りました。稲盛さんが自分で書いて渡したのではありません。JALの社員が、数十人がかりで二か月かけて作ったものです。
そして配り方にも工夫がありました。メールで一斉送信するのではなく、上司から部下へ手渡しする。朝礼や終礼で、みんなで読む時間も設けました。
作って終わりにしなかったわけです。
理念や行動指針は、どの会社にもあります。それを最後に読んだのは、いつでしょうか。
今日、自分の会社の理念を、一つだけ思い出してみてください。

