「とちり蕎麦」― 歌舞伎の世界の責任の取り方

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失敗をしないに越したことはありませんが、どのような仕事にも失敗はつきものと言えます。歌舞伎の世界では、スタッフが失敗をしても、割と穏便に事を運ぶことがあるようです。

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幕を落とすタイミングを間違えた

歌舞伎の世界では、役者がセリフを間違ったり、出番を間違ったりした場合、自腹を切って共演者に蕎麦を振る舞う習わしがあります。セリフを間違えることを「セリフをとちる」ということから、この蕎麦を「とちり蕎麦」といいます。

このとちり蕎麦の習わしは、役者だけでなく、大道具、小道具でも同じです。特に大道具の場合、舞台転換に関わりますので、失敗をしでかしたなら、セリフを間違えたどころの問題で済まないことになります。

これは十二代目市川團十郎(1946〜2013年)が、海老蔵を名乗っていた頃の話です。現在の十三代目市川團十郎白猿の父にあたります。

場所は東銀座の歌舞伎座。現在の建物に建て替えられる前のことです。演目は四代目鶴屋南北作の「桜姫東文章(さくらひめあずまぶんしょう)」。市川海老蔵が高僧清玄坊役、白菊丸の生まれ変わりの桜姫役は坂東玉三郎でした。

この芝居にはプロローグがあります。清玄が白菊丸と駆け落ちをし、海中に身を投じるのですが、清玄は怖じ気づいて海に飛び込めず命を長らえ、白菊丸だけ亡くなってしまうのです。大道具の大失敗があったのは、この後に続く、第一場の「新清水の場」でした。心中から17年後という設定で、桜姫が白菊丸の生まれ変わりであることを清玄が知る場面です。

正しい舞台転換の段取りは以下の通りでした。縦じまの常式幕が開くと、舞台は全面をあさぎ幕で覆われています。あさぎ色は、鮮やかな水色です。一の柝(き)が入ると、紋付き姿の二人が三味線を携えて現われ、舞台の中央で大薩摩(おおざつま)をひとくだり。一の柝とは、舞台進行の合図で、劇場に拍子木の音が響きわたります。

3分か4分くらいで大薩摩が終わり、袖に引っ込むと二の柝が入ります。これをきっかけに、大道具があさぎ幕を一気に振り落とします。あさぎ幕の向こうから、朱色の御殿が現われ、中央最上段に根付きで桜姫がおり、その周りには付き人や家臣が控えているのです。この芝居の見せ場のひとつです。なお、根付きとは、幕が開いたとき舞台にいることです。

誰も処分されなかった

あさぎ幕は巨大な布地ですから、ひとりやふたりで運ぶことができるような代物ではありません。あさぎ幕の裏には、大道具のスタッフが総勢10名ほど控えていて、二の柝の合図を待ちかまえています。二の柝が入ったなら、上手(かみて:客席から見て右側)、下手(しもて)のそれぞれの端にいる責任者が同時にひもを引っぱり、一気にあさぎ幕を振り落とし、上手、下手にあさぎ幕を引き去ります。

その日は、上手の責任者は何を勘違いしたのか、一の柝であさぎ幕を振り落としてしまったのです。

まず驚いたのは大道具。ジーンズにシャツといった仕事着ですから、姿を隠そうと大慌て。次に慌てたのが役者の付き人。化粧直しの道具や痰ツボなどが入った手かごをもって、役者の横に立っていたのですから、隠れる場所を探すため右往左往。

次に大変なのは役者たち。大薩摩が終わるまでの間、ロウ人形のように不動を強いられることになりました。

舞台で起こった事件を知り、裏では全スタッフが大騒ぎを始めました。大道具も株式会社ですので役員がいましたが、大道具出身で演劇の世界にどっぷりとつかっている人でしたので、「とちり蕎麦だ」と騒ぐだけ。

芝居が終わって楽屋に引き返した役者たちは「さらし者にされた」と怒り、役員たちはひたすら謝罪。しかし、ミスを犯した張本人は、特に責任を追及されるわけでもなく涼しい顔。懲戒処分があったわけでもなく、何もなかったかのようにすぐに仕事の流れは復元しました。

舞台演劇は失敗がつきものなので、心のどこかで事件が起こることを楽しんでいる部分があるかのようでした。

失敗が起きること自体は、どの現場でも避けられません。問題は、そのあとをどう収めるかです。歌舞伎の世界には「とちり蕎麦」という形がありました。罰するのでも不問にするのでもなく、本人が自腹で一手間かける。それで区切りがつく。

失敗を減らす仕組みは、どの会社にもあるでしょう。では、失敗が起きたあとの区切りのつけ方は決まっているでしょうか。案外そこが曖昧なまま、気まずさだけが残っている職場は少なくないように思います。

朝礼スピーチ例文(そのまま読めます)

読み上げ時間 約1分(約400文字)

歌舞伎の世界の話です。

役者がセリフを間違えたり、出番を間違えたりしたとき、自腹で共演者にお蕎麦をふるまう習わしがあるそうです。「とちり蕎麦」といいます。

これは役者だけでなく、大道具や小道具のスタッフも同じです。

ある公演で、大きな失敗がありました。舞台を覆っていた幕を落とすタイミングを、担当者が間違えたのです。本来より一手早く落としてしまった。

舞台の上では、仕事着のままのスタッフが慌てて隠れ、役者は人形のように動けないまま数分間を過ごすことになりました。

楽屋に戻った役者たちは怒り、会社の役員は謝り続けたそうです。

ただ、ミスをした本人は、特に責任を追及されませんでした。懲戒処分もなく、翌日から何事もなかったように仕事が続いた。

面白いのは、罰がないかわりに「とちり蕎麦」という形があることです。

叱るのでも、処分するのでもない。けれど、自腹で蕎麦をふるまうという一手間は残る。やった本人も、周りも、それで区切りがつく。

失敗を減らす仕組みは、どの会社にもあります。では、失敗が起きたあとの区切りのつけ方は、決まっているでしょうか。

今日、誰かのミスに出会ったら、どう区切りをつけるか考えてみてください。

執筆者情報

新谷 哲のアバター 新谷 哲 WizBiz株式会社 代表取締役社長

1971年、東京都生まれ。都立駒場高校出身。大学卒業後、ベンチャー・リンクに就職。銀行、信用金庫の融資コンサルタントを皮切りに、仙台支店長、東日本事業部長、執行役員を歴任。その後、常務執行役に就任し、経営コンサルティング部門や営業部門、サービス提供部門を統括。
2010年、当時赤字だった「WizBiz」という経営者向けネットメディア事業の20人の部下を引き連れ会社から独立。代表就任とともに、レカムの傘下に入り、レカム株式会社の100%子会社として、WizBiz株式会社を創業。2011年、レカムと光通信の出資分を全て買い取る。2023年12月、TOKYO PRO Market(東京プロマーケット)市場へ上場。
現在、経営者向けネットメディア「WizBiz」を運営。国内では経営者の会員登録数でNo.1のメディアとなっている。また、経営者向けサービス提供としては、ネットだけでなく、リアルの場も力をいれており、年500回以上のセミナーを開催し、4000名を越す経営者が参加。18万人の社長アンケートから1000個の悩みを回収。

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