明治政府から何度も官職を誘われながら、福沢諭吉は断り続けた。その理由を語った言葉に、彼の「独立自尊」の精神が凝縮されている。
「まず隣の豆腐屋から褒めてもらわねば」
慶應義塾の創立者として、また長く一万円札の肖像として親しまれた福沢諭吉。幕末より教育者として独立していた諭吉には、明治政府が盛んに官職につくようにと誘っていたという。しかし諭吉は、断固としてこれを固辞しきった。
その理由はさまざまにいわれているが、彼に政治や出世への野心がなかったことだけはたしかである。そのうえで知人が諭吉に仕官を勧め、諭吉自身の功労を政府がたたえなければならないといったときのことだ。
諭吉はあくまでも学者として、あたりまえのことをしてきただけだといい、そのうえでこういって断ったという。
「車屋は車を挽き豆腐屋は豆腐をこしらえて、書生は書を読むというのは人間あたりまえの仕事をしているのだ。その仕事をしているのを政府が誉めるというのなら、まず隣の豆腐屋から誉めてもらわなければならない」と。
学者だからといって、特別扱いするのはおかしいではないかというのである。こうした言葉の根底には、彼の「独立自尊」の精神にあらわれている。
諭吉が官職に就かなかったのは、この一度だけの話ではない。幕末に幕府の使節として渡米・渡欧し、西洋の実情を誰よりも早く知っていた人物である。明治の新政府にとって、これほど使い勝手のよい人材はいなかったはずだ。実際、誘いは繰り返しあったという。それでも諭吉は生涯を在野で通し、慶應義塾の経営と著述に力を注ぎつづけた。
その姿勢は、彼の著作にも一貫している。『学問のすゝめ』の冒頭、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずといへり」はあまりに有名だが、これは平等をうたった標語ではない。続く箇所で諭吉は、それなのに現実には賢い人と愚かな人、豊かな人と貧しい人の差があるのはなぜかと問い、その差は学ぶか学ばないかによって生じると説いている。生まれや身分ではなく、自分が何をしたかで決まる。だからこそ、肩書きを与えられて偉くなることに意味を見出さなかったのだろう。
独立自尊とは、他者の持ち場を軽んじないこと
諭吉の言葉は、謙遜として語られることが多い。だが本質はそこではないだろう。自分の仕事を他の仕事より上に置かず、同時に下にも置かない。それぞれが持ち場で当たり前のことをする。その積み重ねで世の中は回っている――という認識である。
組織にも、目立つ仕事とそうでない仕事がある。称賛が集まりやすい部署と、そうでない部署もある。だが、どれか一つが欠けても事業は止まる。独立自尊とは、他者に依存しないことであると同時に、他者の持ち場を軽んじないことでもある。
朝礼スピーチ例文(そのまま読めます)
福沢諭吉の話です。
明治になって、政府が諭吉に何度も役人になるよう誘いました。諭吉は断り続けます。
あるとき知人が、あなたの功績は政府が表彰すべきものだ、と勧めました。それに対して諭吉は、こう答えたそうです。
車屋は車を引き、豆腐屋は豆腐をつくり、書生は本を読む。どれも人間として当たり前の仕事をしているだけだ。その当たり前の仕事を政府が褒めるというなら、まず隣の豆腐屋から褒めてもらわなければならない、と。
学者だから特別だ、というのはおかしいだろう、という意味です。
これは謙遜の話ではないと思います。自分の仕事を、他の仕事より上に置かない。同時に、下にも置かない。ただ自分の持ち場で、やるべきことをやる。それだけだという姿勢です。
会社の中にも、目立つ仕事とそうでない仕事があります。褒められやすい部署と、そうでない部署もある。けれど、豆腐屋がいなければ町は困ります。
今日、自分の隣で仕事をしている人は、何をしているのか。一度、目を向けてみてください。
