以前に紹介したノルマンディー上陸作戦。今回はその作戦を指揮したアイゼンハワーのエピソードを紹介する。
鉛筆書きの「失敗した場合の声明」
アメリカ合衆国第34代大統領であり、“アイク”の愛称で知られるアイゼンハワー将軍は、1943年12月にヨーロッパ戦域における連合軍最高司令官に就任した。彼は文字どおりに史上最大の作戦となった「オーバーロード作戦(=ノルマンディー上陸作戦)」を指揮する。
この作戦の最高責任者であったアイゼンハワーの覚悟の一端を知らしめるエピソードがある。じつは彼は、「作戦が失敗した場合の声明」を用意していたのだ。それは鉛筆書きの、短いメモであった。
「われわれのシェルブール・ル・アーヴル地区(ノルマンディー)への上陸は、満足な足場を得ることができず、私は部隊を撤退させた。この時期、この場所で攻撃するという私の判断は、入手しうる最良の情報に基づくものであった。将兵も、空軍も、海軍も、勇敢に、そして忠実に、できる限りを尽くしてくれた。この試みに何らかの責めや落ち度があるとすれば、それは私ひとりのものである」
――アイゼンハワー直筆メモ(原文より編集部訳)
アイゼンハワーはこのメモに、誤って「7月5日」と日付を記していた。実際に書かれたのは6月5日、上陸の前夜である。最高司令官の緊張が、この一点に残されている。
実際にはドイツ軍の激しい抵抗に遭いながらも作戦は成功を収め、この声明を発表する機会はなかった。だが、万が一の場合にも備えておくというリーダー自身の覚悟があったからこそ、成功をなしえたと評価する見方もある。
万全の準備を整えるだけでは足りない。失敗したときに誰が引き受けるのかを、先に決めておく。そこまでしてはじめて、リーダーは人の心をとらえることができるのだろう。
部下の力を発揮できる環境を作る
一方でアイゼンハワーは、自分に権力を集中するのでなく、配下の指揮官たちが力を発揮しやすいよう環境を整えたことで部下からの信頼を得た。実際の上陸の指揮をとったのはイギリス軍のモントゴメリー将軍である。
上陸後に戦車軍団を率いて進撃したパットン将軍もいた。彼はD-Day当日には、ドイツ軍にカレー上陸を信じ込ませるための架空部隊の司令官として、あえてイギリスに留められていた。花のある将軍を囮に使う采配である。(パットンの活躍は映画にもなっている。1970年にアカデミー賞7部門を受賞した名作だ)
アイゼンハワーは、つねにそれら将軍たちの意見に積極的に耳を傾け、しかも自身の功績にはこだわらず、部下たちをどんどん前に出して、彼らが栄誉を受けられるようにしたのである。逆に部下たちに何かがあれば、潔く、すべて自分が責任を引き受けた。
だからアイゼンハワーのもとでは、とかく我をはりやすい数多の将軍たちが協力し、かつ思う存分力を発揮し、戦うことができたという。また一丸となって、アイゼンハワーに応えようという団結が生まれたとされている。あのノルマンディー上陸作戦の成功の陰に、アイゼンハワーの名采配があったことを見逃してはならない。
【参考】
アイゼンハワー「In Case of Failure」直筆メモ(1944年)/アイゼンハワー大統領図書館所蔵
朝礼スピーチ例文(そのまま読めます)
ノルマンディー上陸作戦の最高司令官は、アイゼンハワーでした。のちのアメリカ大統領です。
作戦の直前、アイゼンハワーは一枚のメモを鉛筆で書いていました。それは、作戦が失敗したときに発表する声明文でした。
内容はこうです。上陸は十分な足場を得られず、私は部隊を撤退させた。この時期にこの場所を攻撃するという判断は、得られる最良の情報に基づいて下したものである。将兵も、空軍も、海軍も、勇敢に、そして忠実に、できる限りを尽くしてくれた。この作戦に責めや落ち度があるとすれば、それは私ひとりのものである。
作戦は成功したので、この声明が読まれることはありませんでした。
ちなみにこのメモには、七月五日と日付が書かれています。実際に書いたのは六月五日、上陸の前夜でした。日付を間違えるほどの緊張のなかで、この文章を書いていたわけです。
私が思うのは、この人は失敗を想定していたというより、失敗したときに誰のせいにするかを先に決めていた、ということです。自分だ、と。
だから部下に任せられたのでしょう。実際の上陸の指揮は部下の将軍に委ね、功績も部下に譲っています。責任を引き受ける覚悟があるから、権限を渡せる。順番はそちらだと思います。
今日、誰かに何かを任せる場面があったら、うまくいかなかったときに自分が引き受けられるか。そこだけ確かめてみてください。
