モーツァルトを聴くと頭がよくなる――そんな話を聞いたことがある人は多いだろう。この説はかつてアメリカで州の政策にまでなり、そして覆った。一本の論文が独り歩きした顛末には、情報との付き合い方を考えさせるものがある。
一本の論文が、州の法律になった
1993年、アメリカのカリフォルニアの大学で、ある実験結果が発表された。大学生にモーツァルトのピアノソナタを聴かせたところ、直後に行なった図形を扱う課題の成績が向上した、というものである。
ただし、その中身は限定的だった。対象は成人の大学生で、幼児ではない。効果が続いたのも十数分程度で、その後は元に戻っている。論文が主張したのは、あくまで「一時的に空間認識の課題成績が上がった」という一点だった。
ところが世に伝わったのは、「モーツァルトを聴くと頭がよくなる」という話だった。
ブームは政策にまで及ぶ。ジョージア州では、クラシック音楽のCDが新生児のいる全家庭に無料で提供された。フロリダ州の公立保育園では、週に一度クラシック音楽を流すことが義務づけられた。この頃、モーツァルトが急速に全世界で聴かれだしたのである。
再現できなかった
1999年、事態は反転する。
ハーバード大学の研究者が過去の研究をまとめて検証し、効果を裏づける根拠は乏しいと指摘した。ノースカロライナ州の大学では、同じ実験を再現しようとして効果を確認できなかったという結果が出された。
その後も検証は続いた。2010年にはウィーン大学の研究チームが、約40本の研究を対象とする大規模な分析を行ない、モーツァルト効果を支持する証拠は見あたらないと結論づけている。
音楽を聴いて気分が変わること自体は、多くの人が経験している。だがそれは、気分が上がれば作業のはかどりも変わるという一般的な現象であって、モーツァルトに固有のものではない――というのが、現在の見方である。自分の好きな音楽であれば、何でも同じことが起きる。
つまり「なぜベートーベンではだめなのか」という問い自体が、そもそも成り立っていなかったのだ。
「研究で証明されている」と言われたら
この一件が興味深いのは、誰も嘘をついていないことである。
論文は実際に存在した。結果も報告されたとおりだった。ただ、対象が誰で、効果がどれだけ続いたのかという条件が、伝わる過程で落ちていった。そして落ちた形のまま、州の予算が動いた。
ビジネスの現場にも、同じことは起こる。「この手法で売上が伸びた」「この研修で離職率が下がった」。事例そのものは本当だろう。だが、何社で、どれくらいの期間、どんな条件下での話なのか。そこを確かめないまま、社内の制度が動くことがある。
情報を疑えという話ではない。条件を聞けばいい、というだけのことだ。誰が、何人を対象に、どれくらいの期間調べたのか。この三つを確かめる習慣があれば、たいていの独り歩きは防げる。
ちなみにモーツァルトの音楽そのものの価値は、この一件で少しも損なわれていない。効能があろうとなかろうと、二百数十年にわたって聴かれ続けてきたという事実は動かない。処方箋としてではなく、単に好きだから聴く。それでいいのだろう。
朝礼スピーチ例文(そのまま読めます)
モーツァルトを聴くと頭がよくなる、という話を聞いたことがある方も多いと思います。
もとになったのは1993年、アメリカで発表された一本の論文です。大学生にモーツァルトのピアノソナタを十分間聴かせたら、図形を扱う課題の成績が少し上がった、というものでした。
これが「モーツァルトを聴くと頭がよくなる」という話になって、全米に広まります。ジョージア州は、新生児のいる全家庭にクラシックのCDを配りました。フロリダ州は、公立保育園で週に一度クラシックを流すことを義務づけました。
ところが、です。
もとの研究は大学生が対象で、赤ちゃんではありません。効果も十数分で消えるものでした。そして1999年、別の研究者たちが同じ実験をやり直したところ、再現できなかった。その後の大規模な検証でも、支持する結果は出ていません。
一本の研究が、州の法律にまでなった。そして覆った。
私が思うのは、「研究で証明されている」と言われたときに、それが何本の研究なのかを一度考えたほうがいい、ということです。
今日、誰かから「これは効果があるらしい」と聞いたら、どこの誰が、何人を対象に調べたのか。そこまで聞いてみてください。
