江戸にゴミがなかった理由 ― 慈善ではなく商売だった

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100万人が生活を営み、世界一の大都市であった江戸。そこは世界でもっともゴミの少ない都市でもあった。何がそれを可能にしていたのか。答えは、意外なほど即物的である。

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江戸住民の究極のリサイクル

早朝、各家庭から生ゴミが出される。ゴミ袋を持って玄関を出るお父さんもいるだろう。収集車が来るまでにカラスがつついたり、悪臭や汁漏れがあったりと、暮らしのなかでの嫌われ者代表が生ゴミだ。自治体では、ゴミ袋の有料化などで生ゴミの軽減に努めてきたが、家庭からの排出量は増える一方。ところが、江戸時代には、江戸の街にはゴミなど見当たらなかったという。なぜか?

何でもかんでもリサイクルしていたからだ。江戸が都市としての体裁を整えた1650年ごろ、町は高度経済成長期に入る。ちょうど「初物を食べると75日長生きする」という初物ブームが到来し、江戸っ子は競って初物を食べた。近郊の農家は、1日でも早く作物を実らせようと、生ゴミを肥料に使うことを思いつく。江戸の家庭から出た生ゴミを地面に埋めて発酵させ、油紙をかぶせて保温するという方法で作物の発育が早くなった。

それ以後、近郊の農民は、野菜や薪をもって定期的に江戸を訪れ、帰りには肥料となる生ゴミを積んで持ち帰った。その肥料で育てた野菜を江戸住民が食べるという、食物のリサイクルが成立していた。

生ゴミだけではない。人々の糞尿もリサイクルされた。糞尿は中世から畑の肥料として使われていたが、江戸時代には、糞尿専門の回収業者があらわれ、有償で江戸の街から下肥として回収した。それが結局は野菜となって、江戸住民の口に戻ってくるのだから、これぞ人間を巻き込んだ、究極のリサイクルといえよう。

同じ時代のヨーロッパ、たとえばロンドンやパリでは、生ゴミも糞尿も道に捨てるのが当たり前だった。不衛生な環境は疫病の温床となり、後の公衆衛生の整備につながっていく。

一方の江戸は、舗装もされていない土の道でありながら清潔だった。当時江戸を訪れたスペイン人ドン・ロドリゴは、江戸の道路がきわめて清潔でゴミひとつ落ちていないと書き残している。

江戸住民はリサイクルの天才

江戸のリサイクルは、食べ物に関してだけではない。先にも述べたように、何でもかんでもリサイクルした。このリサイクルは慈善事業ではない。商売として成り立つからこそ、各種のリサイクル業者が生まれた。

たとえば「灰買い」という業者がいた。当時の燃料は薪なので、当然各家庭から灰が出る。それを「灰買い」が買い集め「灰問屋」に卸す。灰は、清酒の醸造、衣服の染物、紙すき、洗いものなどに使われていたので、酒造業者、紺屋、製紙職人などが「灰問屋」から灰を購入していた。この「灰問屋」は昭和のはじめごろまで続いた商売だという。

そのほかにも、街を巡回して紙くずを買い古紙問屋に卸す「紙くず買い」、蝋燭のしずくを買い安い蝋燭を作る「蝋燭の流れ買い」、壊れた傘を買い集め古傘問屋に卸す「傘の古骨買い」など、現代ならばゴミとなるものでも、専門の業者や問屋が存在し、再利用を生業としていた。

着物のリサイクルも忘れてはならない。江戸時代は、布はすべて手織りで、生産量にも限りがあったので、庶民はもちろんのこと、武士階級でも古着を着ていた。何度もリサイクルされ着物として使えなくなっても、雑巾や赤ん坊のおしめとして利用された。ちなみに享保の改革で株仲間の結成が奨励された際、江戸の古着商が町奉行所に届け出た組合加入店は、享保8年(1723年)の時点で1182軒にのぼるという。組合に入っていない店を含めれば、実数はさらに多かっただろう。江戸の住人にとって古着商は欠かすことのできないリサイクル業者だったのだ。

これだけいろいろなものがリサイクルされれば、ゴミも出ないはずだ。複雑なデジタル家電が溢れる現代は、「直すよりも買ったほうが安い」という時代。江戸時代の生活に戻れといわれても無理な話だが、江戸のゴミ処理システムは、現代の環境問題解決のヒントになるかもしれない。

【参考】
ドン・ロドリゴ『日本見聞録』

朝礼スピーチ例文(そのまま読めます)

読み上げ時間 約1分(約400文字)

江戸の町には、ゴミがほとんどなかったそうです。

人口百万人。当時、世界最大級の都市です。それなのに、なぜゴミが出なかったのか。

理由は単純で、何でも売れたからです。

たとえば「灰買い」という商売がありました。かまどから出た灰を各家庭から買い集めて、灰問屋に卸す。灰は酒造りや染物、紙すきに使われたので、ちゃんと買い手がいたわけです。

ほかにも、紙くずを買い集める人、ろうそくの流れた蝋を買う人、壊れた傘の骨を買う人。それぞれに専門の業者と問屋がありました。

古着屋にいたっては、組合に入っている店だけで千百軒以上あったという記録が残っています。

私が面白いと思ったのは、これが慈善事業ではなかった、という点です。商売として成り立つから、業者が生まれた。

つまり江戸のリサイクルが続いたのは、みんなが環境に配慮したからではありません。誰かが儲かる仕組みになっていたからです。

いい取り組みなのに続かない、ということが仕事でもよくあります。たいてい、誰かの善意だけに頼っているときです。

今日、続けたいことがあるなら、それが誰の得になっているか。一度考えてみてください。

執筆者情報

新谷 哲のアバター 新谷 哲 WizBiz株式会社 代表取締役社長

1971年、東京都生まれ。都立駒場高校出身。大学卒業後、ベンチャー・リンクに就職。銀行、信用金庫の融資コンサルタントを皮切りに、仙台支店長、東日本事業部長、執行役員を歴任。その後、常務執行役に就任し、経営コンサルティング部門や営業部門、サービス提供部門を統括。
2010年、当時赤字だった「WizBiz」という経営者向けネットメディア事業の20人の部下を引き連れ会社から独立。代表就任とともに、レカムの傘下に入り、レカム株式会社の100%子会社として、WizBiz株式会社を創業。2011年、レカムと光通信の出資分を全て買い取る。2023年12月、TOKYO PRO Market(東京プロマーケット)市場へ上場。
現在、経営者向けネットメディア「WizBiz」を運営。国内では経営者の会員登録数でNo.1のメディアとなっている。また、経営者向けサービス提供としては、ネットだけでなく、リアルの場も力をいれており、年500回以上のセミナーを開催し、4000名を越す経営者が参加。18万人の社長アンケートから1000個の悩みを回収。

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