株式会社フライヤー 代表取締役CEO 大賀康史氏 インタビュー

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本コーナーで掲載する経営者インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集しています。今回ご紹介する経営者は、大賀康史氏(株式会社フライヤー 代表取締役CEO)です。(2026年2月4日 2026年2月11日 配信)

今回は、株式会社フライヤーの大賀康史氏にお越し頂きました。論文全体の内容をコンパクトに提示する概要(アブストラクト)部分をヒントに、本の要約サービスの需要を思いつき、「flier」を展開。順調に事業を伸ばし、株式会社フライヤーを上場へと導いたエピソードから、経営のヒントが得られます。ぜひ、インタビューをお読みください。

目次

休み時間に自作のゲーム——取りまとめ役だった少年時代

新谷哲:本日のインタビューは、株式会社フライヤーの大賀康史社長です。まずは経歴をご紹介します。早稲田大学大学院理工学研究科を修了後、アクセンチュア株式会社に入社。その後フロンティア・マネジメント株式会社を経て、株式会社フライヤーを設立されました。2025年には東京証券取引所グロース市場に上場されています。本日はよろしくお願いいたします。

大賀康史:よろしくお願いします。

新谷哲:最初のご質問です、ご出身はどちらでしょうか。

大賀康史:東京です。両親は京都出身ですが、私はずっと東京で、練馬区の石神井公園の辺りで育ちました。

新谷哲:小学校時代はどのようにお過ごしになられましたか?

大賀康史:クラスの取りまとめ役のようなことを、当時からずっとしていました。少年野球をやっていて、手打ち野球や軟球でみんなと試合をする時には、人を集めてオーダーを自分で決めてまとめる役回りをしていましたね。またゲームを作ったりもしていました。昔から戦国武将のゲームが好きで、画用紙に日本地図を描いてシミュレーションゲームを作り、休み時間にみんなで遊んだりしていました。

新谷哲:ボードゲームをご自身で作られていたのですね。中学時代はどのようにお過ごしでしたか?

大賀康史:基本的には野球部中心で過ごしていました。塾も野球部のメンバーと一緒で、床に低いテーブルが並ぶ寺子屋のような個人塾でした。

そこではどんな人でも一定の高校に行けるようサポートするという方針で、私は半分くらい自分が教えるような立場になっていました。お金を払いながら塾講師をしているような感覚でしたね。同じ学校の勉強をしているので分かりにくいところが掴みやすく、大学生の講師の方と並んで教えることもありました。

新谷哲:教えることで自分の理解も深まりますね。

大賀康史:そうですね。自己流ではありましたが、比較的そういったことには向いていたのかもしれません。

憧れたのは大将ではなく軍師——都立西高校での野球と軽音

新谷哲:高校はどちらに進まれましたか?

大賀康史:都立の西高校です。特色のある運動会や応援団があるなど、とても自由な学校でした。進学指導がなく、その人に任せるというスタイルでした。

新谷哲:都立西高校と言えば、東大にも多くの合格者を出すトップクラスの都立高校です。勉強も相当おできになったのではないですか。

大賀康史:得意と不得意がはっきり分かれていました。覚えることが少なく応用系の数学と物理がとても得意でした。

一方で歴史や英単語のように暗記が中心の科目は苦手で、今でも英単語はなかなか覚えられません。得意不得意の凸凹がはっきりしていましたね。

新谷哲:それでも西高校に合格されているのですから、大変優秀な方だと思います。高校時代で一番印象に残っている思い出はありますか?

大賀康史:高校では硬式野球部と軽音楽同好会を掛け持ちしていました。軽音は2年生の途中まで、野球は3年生の夏まで続けました。1年生の頃は部活の荷物をたくさん持ちながら、さらにギターとアンプを担いで自転車で30分ほど通学するという生活で、荷物で自転車が見えなくなるほどでした。親からはかなり心配されましたね。

もう一つ印象に残っているのは、高校3年生になる直前のことです。うちの野球部はOBの大学生が監督やコーチを務めていたのですが、春休みの練習で受験を意識した部員が多数休んだことがあり、監督がひどく怒って来なくなってしまいました。そこで私が選手兼監督という形で、自分が3試合ほど采配を振るったこともあります。

新谷哲:どこに行ってもリーダーシップを発揮されるタイプなのですね。

大賀康史:天性のリーダーというタイプではないと思っています。カリスマ性でグイグイ引っ張るタイプではなく、むしろ作戦を立てるのが好きなんです。野球でも、自分たちの強いところで相手の弱いところと勝負するにはどうすればいいか、盗塁でどう揺さぶるか、といったことを楽しみながら考えていました。

読んでいた本も歴史小説が多く、戦国武将の大将というより、竹中半兵衛や黒田官兵衛のような軍師という存在に憧れていました。

力学の美しさから機械工学へ、そして「考え抜く」アクセンチュア時代

新谷哲:その後、早稲田大学に進まれましたが、選ばれた理由はありましたか?

大賀康史:物理の中でも力学という分野がとても好きだったんです。ニュートンの運動方程式一つでほとんどの物体の運動を表せる、なんと美しい学問だろうと思いました。その力学を応用して社会に貢献したいと考えていました。

当時、中高の頃に環境問題が大きく注目されていました。二酸化炭素の増加やオゾン層の破壊といったニュースに触れ、環境問題に最もインパクトを与えられるのは自動車産業だと考えました。環境に優しいエンジンを作るエンジニアになりたいと思い、機械工学を専攻することにしました。

大学は数えるほどしか受けていませんでした。夏まで野球の試合があり、1年浪人して準備するつもりでいたのですが、受けたところにいくつか合格し、その中から早稲田を選んだという形です。

新谷哲:大学時代の思い出はございますか?

大賀康史:最初の3年間はサークル中心でした。3年生の時にテニスサークルの副幹事長を務め、150人ほどいる大きなサークルだったのでその活動が中心でした。残りの3年間は研究室に入ってから大学院まで、ひたすら研究室にいた感じです。

1年生の頃は、高田馬場が居酒屋と雀荘の多い街でしたので、同期から「3人しかいないからあと1人来い」と連絡が来ることが多く(笑)、語学の授業以外はあまり出ていないという状況でした。

新谷哲:大学院に進まれた理由は何だったのでしょうか?

大賀康史:研究室でエンジンの環境性能を高める研究をしていたのですが、3年生の途中から4年生までだと研究期間が1年ほどしかなく、学会で発表できるレベルまで到達していないと感じました。研究をやり切ったという実感が持てなかったので、引き続き研究したいと思い大学院に進みました。理工学部では5割〜6割の人がそのまま大学院に進みます。

新谷哲:大学院時代の思い出はございますか?

大賀康史:本当は1年間海外の大学に留学したかったのですが、親から費用の面で反対され、先生からも「大学院が3年になる」と言われたので断念しました。ただ夏休みにサンフランシスコへ語学留学に行き、最後の1週間はニューヨークで観光を楽しみました。当時あった貿易センタービルにも登り、自由の女神にも行きました。そして帰国1週間後に9.11のテロが起きました。少しタイミングがずれていれば巻き込まれることもあったかもしれない。タイミングや運命というものは、どうなるか分からないものだと感じましたね。

新谷哲:大学院修了後、アクセンチュアに進まれた理由は何でしょうか?

大賀康史:高校時代に軍師に憧れていたという話につながるのですが、将来は経営コンサルタントとして企業参謀になりたいと思っていました。いくつかのコンサルティング会社を受ける中で、アクセンチュアが当時の外資系らしい実力主義で最も厳しい世界だと感じ、せっかく行くなら一番厳しいところへと選びました。

新谷哲:アクセンチュアでの思い出はございますか?

大賀康史:なかなかはちゃめちゃな会社でした。当時は国内で2000人ほどの規模でしたが、入社時の研修から人が辞め始め、3年で大体半分になると言われていました。研修の最後に2週間〜1か月ほどシカゴ近郊の研修施設へ行くのですが、空港に大きなリムジンが迎えに来てシャンパンを飲みながら向かうという体験ができます。「社会人とはこんなに優遇されるのか」と思いきや、帰国してプロジェクトにアサインされた瞬間、朝から晩まで働く日々が始まる。あそこが頂点だったのかと(笑)。今はかなりホワイトになっているそうですので、あくまで当時の話です。

新谷哲:相当鍛えられたのではないですか?

大賀康史:自分にとって最適なパフォーマンスが出る働き方が分かってきたのは大きかったです。また、「考え抜く」という習慣が身についたことも、その後に大いに生きました。少し考えて答えを出すのではなく、本当にそれが正しいのか、もっと考えれば違う施策があるのではないかと、徹底的に考え抜く姿勢はアクセンチュア時代に培ったものです。

企業再生の現場で知った、専門性を持ち寄る力

新谷哲:その後、フロンティア・マネジメントに転職されていますが、こちらはどのような会社でしょうか?

大賀康史:企業再生に強いコンサルティング会社です。現在は上場していますが、弁護士、会計士、M&Aの専門家、経営コンサルタントなど様々な専門家が集まっている会社です。企業の再生フェーズによって役割が変わり、破綻寸前の状態であれば弁護士が担当になりますが、なんとか回復できそうな段階では会計士や経営コンサルタントが常駐して業績を回復させていく、そういう強みを持つ会社でした。

新谷哲:こちらに移られた理由はありましたか?

大賀康史:アクセンチュア時代は、順調に利益の出ている会社をさらに伸ばす案件が中心で、カウンターパートも部長や事業部長クラスが多く、全社戦略に関わる機会があまりありませんでした。フロンティア・マネジメントは企業再生という、会社が滅多に経験しない局面を扱うため、必ず社長がカウンターパートになります。全社戦略を最適な形で実行していくやりがいと使命感のある案件に挑戦したいと思い、移りました。

新谷哲:フロンティア・マネジメントでの思い出はございますか?

大賀康史:とても良い会社で、今でも大切にしている「リスペクト」という価値観はここで得たものです。経営コンサルタントは業績改善の専門性を持ちますが、法的な部分は弁護士にはかないませんし、モデリングは会計士や投資銀行出身者の方が得意です。それぞれの得意を持ち寄って一つの案件をチームで解決していく経験が非常に印象的でした。1人ではできないことも、専門性を持ち寄ることで大きな成果を生み出せると実感した時期でした。

論文のアブストラクトから生まれた「flier」——妻の涙と1年の約束

新谷哲:その後、株式会社フライヤーを創業されますが、経緯をお聞かせください。

大賀康史:創業は2013年で、きっかけが2つありました。一つ目は、コンサルティングの仕事では大量に本を読む必要がありますが、仕事が忙しくてなかなか読み切れないという課題がありました。案件の合間に1週間ほど休みを取って20冊まとめ読みするということをしていましたが、プロジェクト中にも今どんな本があって概要はどういうものかが分かればありがたいし、買いたい本も見つかりやすい。ビジネス書やリベラルアーツの本の要約がスマートフォンで読めたら、自分が一番使いたいサービスだと思ったのが出発点です。

二つ目は大学院時代の経験です。英語が得意ではないので英語論文を1本読むのに2〜3時間かかっていましたが、論文の冒頭にあるアブストラクト(要約)を読めば10分ほどで概要が把握でき、自分の研究に使えるかどうか判断できました。これが本の世界にもあれば便利だと思っていました。

そしてスマートフォンが普及した時代になり、フロンティア・マネジメントの同僚と「要約がスマートフォンで見られたら便利だね」という話になりました。似たようなサービスを調べたのですが、自分たちのイメージに合うものはなかったので、3人で自分たちで作ろうと起業しました。

新谷哲:周りからの反対はありませんでしたか?

大賀康史:結果的には反対されませんでしたが、妻のことをお話しさせてください。当時、妻と子ども2人、さらに住宅ローンも組んだばかりという状況でした。起業のアイデアを思いついて2日目、夜12時頃に帰宅して寝ている妻を起こし、本の要約サービスを作りたい、起業したいと話しました。自分はワクワクしかない状態でとても前向きに話したのですが、妻が泣いたんです。なぜ泣いているのか分からず見ていたのですが、1分ほどして落ち着くと、「その会社がうまくいくかどうかは分からないけれど、あなたのためになるだろうから応援したい」と言ってくれました。家族の理解が得られたことが、創業時の最も大きな出来事でした。

新谷哲:創業に際して、怖さはございましたか?

大賀康史:現代で背水の陣を敷くのは難しいと思っています。家族もいますし、最悪でも職を変えるくらいのことです。そこで創業メンバー3人で決めたのが「1年間全力でやって、世の中に価値を提供できなさそうであればやめよう。その代わり1年間は他のことを一切せず全力でチャレンジしよう」ということでした。1年間であれば、給料がなくなることはあってもそれ以上のリスクはないと思ったんです。

その1年の間にいくつかのピッチコンテストに出場し、どれでも入賞や最優秀をいただきました。テレビ番組でもご紹介していただき、やめるわけにはいかないという状況になり、継続する道を選びました。

100%子会社から、もう一度上場へ

新谷哲:上場は最初から狙っていたのでしょうか?

大賀康史:はい。創業した時から上場したいと思って創業しています。

新谷哲:上場までのご苦労はありましたか?

大賀康史:フライヤーは少し変わった資本政策を取っていました。創業から4年目に、プライム上場企業のメディアドゥに株式を売却して100%子会社になるという経緯があります。その後、100%子会社のまま終わるのではなく、この会社を再び上場させたいと思いました。メディアドゥへの恩返しという気持ちもありましたし、すでに15人ほどいたメンバーの期待に応えたいという気持ちもありました。

そこから一部株式を買い戻したり、VCや投資家の方に資金調達をしながら上場を目指しましたが、100%子会社の状態から投資していただくことはなかなかご理解いただきにくく、その部分では毎回苦労しました。

新谷哲:御社の事業内容をお教えいただけますか?

大賀康史:基盤は本の要約サービスです。本を読む体験自体はとても尊いものだと思っていますが、概要を知りたい方にとってはまずコンセプトを理解することが重要です。フライヤーでは1冊10分程度で読める分量の要約を毎日公開しており、スマートフォンやPCのアプリで読めるほか、音声でも聴けます。

現在、事業の中心は企業向けの「flier business(フライヤービジネス)」で、売上の70%以上が法人向けです。企業では全員一律の研修よりも、個人の特色を活かした自律的な学習が求められています。フライヤービジネスはその自律的な学習プラットフォームとして多くの企業にご活用いただいています。

「困難は分割せよ」——その人ならではの経営者像を追求する

新谷哲:ここからはまったく違う質問をさせていただきます。事前に好きなもの・好きなことをお聞きして「ビジネス書、哲学、歴史、ラグビー観戦、テニス、子どもに勉強を教えること、理系科目や歴史」とお答えいただきました。お子さんにも寺子屋の時と同じように教えていらっしゃるのでしょうか?

大賀康史:今、子どもが3人おり、高校3年、中学3年、小学1年という状況です。長男が受験期に入っています。中3の娘は反抗期で、「部屋に入ってこないで」とバタンという感じですので(笑)、教えるようなことはできません。長男は高校1年頃まで疑問点があればサポートしていましたが、今は自分でも解けない問題になってきています。共通テストのリスニングを一緒に解いて勝負したりするくらいですね。ただ、毎日帰宅して長男の勉強の様子を見ながら自分も本を読む時間にしています。リズムを整えて支えてあげることが大切だと思っています。

新谷哲:素晴らしいお父様ですね。座右の銘は「困難は分割せよ」とのことですが、この言葉の意味と選ばれた理由をお教えください。

大賀康史:哲学者・数学者のデカルトが言ったとされる言葉です。生きていれば様々な困難があります。会社経営をしていれば特にそうです。ただ、一つの難しい課題を10段階に分けると、1ステップ1ステップはそれほど難しくなく、やれそうな気がしてきます。人で分けることもできます。1人では大変なことでも5人・10人で専門性に応じて分担すると、それぞれの担当範囲は実行可能な規模になります。何か難しいなと思った時に自分に「困難は分割せよ」と言い聞かせ、5〜10段階に分解することで、高い目標でも身近なものになって「やればできる」と思えるようになります。起業して13年、自分をとても支えてくれた言葉です。

新谷哲:次が最後のご質問です。全国の経営者、これから起業する方に向け、経営者として成功する秘訣をお教えください。

大賀康史:一言で言うと、ご自身ならではの経営者像を見つけて追求することだと思っています。ドラッカーは何百人、何千人という経営者に会った結果、「成功する経営者に共通のものはない」と言っています。陽気な人も神経質な人も、営業が得意な人も苦手な人も、誰一人同じ人はいない。でも、その人ならではの成果の出し方というものは必ずあって、それがその経営者を成功させるものだと。

司馬遼太郎さんの『項羽と劉邦』にも同じことが描かれています。項羽は圧倒的な戦の強さとカリスマ性を持つリーダーでしたが、劉邦はおっちょこちょいで頼りない面もある一方、適材適所を見抜いて任せること、軍師・張良の進言を素直に受け入れることができました。最後に勝ったのは劉邦です。

その人ならではの価値の出し方、組織の束ね方、事業の作り方というものがある。それを追求している時のほうが言葉に自然さが生まれ、エネルギーも増し、ビジョンも描けます。誰かの真似ではなく、自分ならではの価値観を大切にして経営者として生きていくことが、成功への道だと思います。

新谷哲:大賀康史社長、本日はありがとうございました。

大賀康史:ありがとうございました。


大賀康史:ありがとうございました。

編集後記

今回は、株式会社フライヤーの大賀康史社長でした。都立西高校出身の理系で、論理的でありながら人柄も温かく、リーダーシップと戦略的思考を兼ね備えた方でした。ドラッカーの「真摯さ」もお持ちで、本の要約事業を手がける社長らしく読書量も豊富。フライヤーのサービスをうまく活用しながら学び続けることの大切さも改めて感じさせていただきました。その人ならではの経営者像を追求することの大切さ、ぜひ読者の皆様にも参考にしていただければと思います。

大賀康史氏
株式会社フライヤー 代表取締役CEO

早稲田大学大学院理工学研究科修了。アクセンチュア(株)製造流通業本部に入社。同戦略グループに転属後、フロンティア・マネジメント(株)を経て、2013年6月に株式会社フライヤーを設立。2025年2月に東京証券取引所グロース市場上場。日本ディープラーニング協会E資格。

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本インタビューは、Podcast「社長に聞く!in WizBiz」で配信中の経営者インタビューを編集したものです。文中に登場する社名、肩書、数字情報などは、原則、収録当時のものですので、予めご了承ください。

今回は、大賀康史氏(株式会社フライヤー 代表取締役CEO)の経営者インタビューを取り上げました。

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執筆者情報

新谷 哲のアバター 新谷 哲 WizBiz株式会社 代表取締役社長

1971年、東京都生まれ。都立駒場高校出身。大学卒業後、ベンチャー・リンクに就職。銀行、信用金庫の融資コンサルタントを皮切りに、仙台支店長、東日本事業部長、執行役員を歴任。その後、常務執行役に就任し、経営コンサルティング部門や営業部門、サービス提供部門を統括。
2010年、当時赤字だった「WizBiz」という経営者向けネットメディア事業の20人の部下を引き連れ会社から独立。代表就任とともに、レカムの傘下に入り、レカム株式会社の100%子会社として、WizBiz株式会社を創業。2011年、レカムと光通信の出資分を全て買い取る。2023年12月、TOKYO PRO Market(東京プロマーケット)市場へ上場。
現在、経営者向けネットメディア「WizBiz」を運営。国内では経営者の会員登録数でNo.1のメディアとなっている。また、経営者向けサービス提供としては、ネットだけでなく、リアルの場も力をいれており、年500回以上のセミナーを開催し、4000名を越す経営者が参加。18万人の社長アンケートから1000個の悩みを回収。

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